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[動画有]28歳の夏、腎臓に癌が見つかった。

ガン

「まさか自分が。」

そう。まさか自分が、この台詞をこんなにも早く言うことになるなんて、思いもしなかった。

28歳の夏、腎臓に癌(がん)が見つかった。
同エピソードをYouTube動画でもご覧いただけます。

2020年9月8日

忘れもしないその日の朝。僕はここ数ヶ月通っていた呼吸器内科のクリニックに、血液検査の結果を聞きに行くため足を運んでいた。なぜ呼吸器内科へ通っていたのか?ここ数ヶ月謎の体調不良が続いて、その中の1つに咳喘息の兆候があったためだ。治療のおかげで咳は良くなったが、「夕方以降になると必ず出てくる謎の高熱」が続いていたので、念のため血液検査をすることになった。

「恐らく大丈夫かと思いますが、念のため大きな病院で検査をしてもらいましょうか。」

その日聞きに行ったのは、そのクリニックで受けた2回目の血液検査の結果。1回目から2週間が経っていたのに、風邪等でウイルス感染があった時に上がる炎症反応の数値が高いままだった。

当時は新型コロナウイルスが蔓延していて、感染しているのではと自分自身を疑っていたが、クリニックの担当医によるとその心配もないと言う。しかし検査結果が宜しくない原因がわからないため、近所にある大きな病院に紹介状を書いてもらい、その日のうちに診てもらうことになった。

夏バテだと思っていた

今思えば予兆はあった。

「なんか最近、疲れやすいな。」そう感じたのはその年の6月頃からだった。通勤するだけで息が上がり、満員電車で立っているのも辛い。仕事から帰ると倒れるようにベッドに入り、休日は引きこもりがちになっていった。

その年はコロナの影響もあって、真夏でも外出時にはマスクの着用が必須だった。きっと暑い中でマスクを付けているから夏バテ気味なんだ。そう思って深刻に考えなかった。

「夏が過ぎれば、また元気になるでしょ」と。

ある時から少しずつ咳が出るようになった。すぐに治るだろうと思っていたけど一向におさまらない。業務で電話を取る事も多く、流石に仕事に支障が出るので呼吸器内科に行くことにした。

自覚はなかったが、クリニックで測った時に38度の高熱があった。それから毎日検温するようになり、夕方以降に熱が上がっていることがわかった。それも毎回38度を超えていた。38度と言うと何か症状があってもおかしくないはずだけど、不思議とだるさ以外に高熱がある自覚は全くなかった。熱は決まって朝になると下がっていた。

疲れやすい、咳、高熱の他には血尿があった。2回目の血液検査を受ける前日に、トイレが真っ赤に染まった光景は今でもトラウマだ。驚いたけど数回で普通の尿に戻ったから「疲れているせいだ」と思い、呼吸器内科が終わった後に時間があれば泌尿器科に行こう。そう気軽に考えていた。

1人で受けた癌宣告

「なんだか様子がおかしいぞ。」そう感じたのは、最初は血液と尿だけと聞いていた検査が次々と追加されたあたりからだった。

クリニックを後にしたその足で、そのまま紹介状を書いてもらった病院に向かった。10時頃に着き、平日なのに診察待ちの人で溢れかえる光景を見て「こんなに沢山の人が病気になってるんだ」とびっくりしたのを覚えてる。大きな病院に来るのは初めてだった。「お昼ご飯は何にしよう」そんな呑気なことを考えてる僕の思いとは反して、食事を取る暇もなく気付いた頃には16時を迎えていた。あんなに人がたくさんいた院内は、もうすでに静まり返っていた。

最後の検査が終わり、しばらくすると名前を呼ばれて診察室に入ると僕はギョッとした。最初の問診では医師と看護師2人しかいなかったのに、その時は椅子に座る医師の後ろに10人もの医師や看護師が並んでいた。その瞬間に、悪い予感が僕の体を駆け巡った。

「長い検査お疲れ様でした。結果を単刀直入に申し上げますと、左の腎臓に腫瘍が見つかりました。癌だと思われます。」

それが自分に向けられている言葉だとは思えなかった。俯瞰でドラマのワンシーンを見ているかのような感覚だった。

後ろにずらりと並ぶ人たちが、心配そうな、なんとなく申し訳なさそうな表情で僕のことを見ていたのが居心地を悪くさせた。

「腎がんであることは恐らく確定ですが、もう少し詳しく状態を調べてから今後のことを話したいと思いますので、ご家族の方と一緒にまた明日来れますか?」

親にどう話そう。仕事はやめなきゃいけないのかな。俺、死ぬのかな。

診察室で医師といくつか話をしたが、自分が何を喋っていたのかほとんど覚えていない。いつのまにか自分の部屋にいた。道中何を考えて帰ったのか、その記憶はおぼろげだ。

両親に話すと、少し驚いた表情をしていたが詳しくは聞いてこなかった。「まさか自分が、還暦を超えた両親よりも早く死ぬかもしれないなんて。」そんなことを思う日が来るとは思わなかった。その日はネットで腎がんについて調べ尽くして寝れなかった。この日から、普通だと思っていた僕の日常が一変した。

猶予のない選択

翌日、両親と一緒にがんを宣告された病院へと行った。医師の話によると僕の腎臓にあるがんは、腎臓を覆うように大きく成長し、心臓に伸びる血管にまで達してきているらしい。それを、腎がんの静脈浸潤と言う。

その時はそれがどんな状態か理解できなかったけれど、後日調べると中々危険な状態だったようだ。

「一番の治療法は、がんがある方の腎臓を手術で摘出することです。しかし静脈浸潤しているとうちの病院では対応できないので、すぐに手術できるかの判断も含めもっと大きな病院で診てもらいましょう。今日中に予約を取りたいので、病院を決めてもらいますか?」

大きな病院でしか対応できないほど進行しているのかと落胆すると共に、急に迫られる選択に戸惑った。今まで小さなクリニックにしか行ったことがない僕には、どの病院が良いなんて分からなかったし、すぐには決められなかった。その場では提示された3つの病院のうち、通いやすいと言う理由で一番近い病院に決めた。安易な選択だった。

医師が転院先の病院に連絡している間、待合室で待っていると1人の女性が僕の元にやってきて声をかけてきた。先ほど医師の隣にいたその女性は、病気に関することで相談に乗ってくれる看護師だと言う。

「本当にあの病院で大丈夫ですか?少し迷われている様子だったので…帰ってから病院について調べてもらって、後で変更することも可能ですので、じっくり考えて決めた方が良いですよ。」

その人がそう言ってくれなかったら僕は今でも、よく考えずに選んだ結果に後悔していたかもしれない。一刻も争うような雰囲気で圧倒され、医師に質問できなかったことを看護師に色々質問をした。治療は今後どういう流れになるのか、仕事はどうすればいいのか、がん若いと進行が早いと言うが実際はどうなのか。それらひとつひとつに、親身になって答えてくれた。

「仕事は休めたら休んだ方が良いですが、絶対にやめないでください。」

その言葉を言う時の、強く説得されるような雰囲気が一番印象に残っている。大きな病気を患った時に退職してしまった人は、治療が終了した後の再就職が困難になることが多いらしい。例え職場に穴を開けることに申し訳なさを感じても、休職して復職した方が良いと。

会社に事情を話し、暫く休職することを了承してもらえた。「元気になってまた一緒に働ける日が絶対来ると信じてる。」社長がそう言ってくれた言葉に救われた。手術後の復帰を目指して、今では月に数回の現状報告で連絡を取っている。

病院について母や友人に相談すると、最初に選んだ所はあまり評判が良くなかったらしい。自分でも腎がんについて調べ、最終的には自宅からは少し距離はあるが、治療実績の多い別の病院を選択した。

あの時看護師が声をかけてくれなかったら、何も調べず流れに身を任せて後悔の選択をしていたかも知れない。

推定ステージ4

9月8日に癌を宣告されてから少し期間が空いて9月末、腎がんの種類を判定する生検を行うための検査入院が始まった。その期間で薬による重篤な副作用が出ないかも合わせて診るらしい。(生検とは/「生体検査」の略。病気の診断のために生体の組織片を切り取って顕微鏡などで調べる検査。)

生検の結果、僕の腎臓にあるがんは「淡明細胞型」という種類で、腎臓にできるがんの中で8割を占めるよくあるタイプらしい。万が一にも良性腫瘍の可能性を祈ったけど、悪性腫瘍だった。

不思議なことに、検査をして最初にがんが分かった病院でも、転院した大学病院でも、現在に至るまで「ステージ」についての説明をされていない。がん宣告と言うと病気の進行度を表すステージを言い渡されるイメージだった。

しかしながら、腎がんについて調べると僕の今置かれている状況はステージ4に当てはまる。僕は勝手にそれを「推定ステージ4」と呼んでいる。なぜ医師にステージを聞かないのか?確定させないことで、なんとなく気持ちが楽なになる気がするからだ。医師もそれを意識して言ってこないのか、治療の過程で最終的に確定させるのかは分からないけど、言われない限り聞かないでいようと思う。

その後3週間ほどの入院期間を経て12月10日現在、今は2週間に1回点滴治療の通院以外では自宅療養をしている。

薬の副作用も小さいものはあれど、重篤なものはなく何とか平穏に過ごせている現状。とにかく今は、左の腎臓を手術で取り除くために、腫瘍が小さくなってくれる事を祈る毎日だ。

がん発覚から約3ヶ月。こんなに働かない期間を過ごしたのは学生以来初めてで、手術終了から回復まで少なくともあと2〜3ヶ月は続くだろう。空いた時間で料理を始めたり近所の散歩したりと、今までやれていなかったことを始めてはいるがそれでも時間が有り余っている。

せっかくだからこの貴重な時間を、ブログに残していこうと思う。がんの闘病ブログと言うとネガティブな内容だったり、途中で更新が途絶えており現在の生存がわからないものが多い。また、腎がんは全がんの中でも患者が少ないことから、データや体験談などの数も少ない傾向にある。

僕も飽き性なところがあるからいつまで続けられるかは分からないけど、腎がんについてポジティブな情報を求めている人の光になれるように、頑張りたいと思う。

あとがき

小説風の口調で書いてみました。以上が僕のがんが発覚してから現在までの経緯です。

宣告から入院までの期間はとにかく考える間も無く過ぎ去っていったような感覚です。時には考えすぎてしまって夜も眠れない日もありました。ネットで調べた情報が悪いものばかりで、落胆することも多かったです。でも、今ネットに溢れている治療データって5年前くらいのものが多く、現代の医療はもっと進化しています。

今治療を受けている人たちの5年生存率だって、5年後にはもっと上がっているはず。今はそう思えるくらいに、気持ちも前向きになっています。

これから少しずつ、がん治療のことについてはもちろん、僕の普通の日常についても発信していこうと思うので「あぁこんな奴もいたな」ってたまに生存確認でアクセスしていただけたら嬉しいです。

同じAYA世代患者の方や腎がん患者の方はもちろん、患者ご家族の方やがんになってはいないけど関心がある方等と交流もしていきたいので、コメントやメッセージも気軽にお待ちしています。

がん患者やその家族のためのコミュニティサイト「5years」にも登録しているので、見かけたらぜひ反応してやってください。

それでは。

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